≪関市における刃物の歴史≫(やや長め)
2016年9月23日
関の刃物産業は日本刀の産地として栄えて、以来地場産業として育ってきました。
始まりは鎌倉時代に九州から移り住んだ刀匠『元重』と言われています。
元重によって関での日本刀づくりが始まり、その後、志津三郎や孫六兼元、和泉守兼定といった名工を何人も輩出し一大産地となりました。
鎌倉時代に始まって、室町時代に最盛期を迎えた関の刀鍛冶ですが、江戸時代に入ると需要が低下。
(戦乱が収まり、消費が減少したため。)
明治になると廃刀令によって需要は更に低下。関の刀鍛冶たちは、包丁やハサミといった家庭向けの刃物や欧米向けのポケットナイフの生産に転向。昭和に入るとカミソリの生産も始まりました。
刀匠から続くその刃物の切れ味は、海外の高い評価を受け、ドイツのゾーリンゲンと並ぶ世界ブランドにとなり、今に到ります。
と、一通りお客様に説明すると多くの皆さんが疑問に思うのは、最初の部分。
そもそも、なぜ「元重」は関に移り住み、関で刀づくりを始めたのか。
よく言われているのが、日本刀づくりに適した土地を求めて全国を訪ね歩いた元重が、関を訪れた際、「長良川の豊かな水」と「鍛錬に必要な松炭」、そして「良質の焼刃土」が揃う関に理想の条件を見つけたと・・・。
焼刃土・・・。
上に書いたように教わり、お客様にはそれらしく説明していましたが、本当はこれが何なのか、よくわかっていませんでした。
ごめんなさい。。。
せっかくの機会なので少し勉強しました。
焼刃土は耐火性の粘土がベースでその成分・配合は秘伝だそうです。
これを刀身に塗ることで焼入れの冷却速度を調整するそうで、冷却が速ければ硬く(脆く)、遅ければ柔らかく(粘く)なります。焼刃土を厚く盛れば冷却は遅く、薄く塗れば速くなります。そのため、刃先側は薄く、峰側に厚く塗ることで、「折れず、曲がらず、よく切れる。」を実現するそうです。
焼刃土が重要なことはよくわかりましたが、それでも疑問が残ります。
やっぱり刀で大事なものは「鉄」なんじゃないでしょうか?
関では肝心の「鉄」が採れないので、鉄はどこかから運んでくる必要があります。
でも鉄を運ぶより、焼刃土を運んだほうが簡単な気がします。
山が多く、水の豊かな日本であれば、長良川も松炭も同じような条件は他にもたくさんあるはずなので、焼刃土の産地より鉄の産地の方が理想の風土のように思えてしまいます。
それでも元重が関を選んだのは、
「美濃を制する者は天下を制する」
と言われたように、東海道、中山道、伊勢街道、北国街道が集まる交通の要だったからなのか、
あるいは、壬申の乱から始まり、承久の乱、関が原の戦いと大きな争いが度々起こるこの地域が刀の大きな消費地だったからなのか、
そんなことを想像していると、理想を求める元重の職人魂より需要とデリバリーを考える商人根性が見えてきたので、考えるのは終わりにします。
きっと元重が関を選らんだ本当に理由は、「うなぎ」がおいしかったから!!
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