≪社員の誰も知らなかった初耳学:志津刃物の前身②≫
2020年 3月 10日
ポケットナイフを中心に、歴史を感じる刃物やユニークな刃物を趣味で収集されるI氏のコレクションは膨大で、関の刃物の生き字引のようなお方です。
弊社二代目と三代目、四代目候補と共に、その膨大なコレクションを拝見させて頂き、当時のお話を教えて頂きました。
膨大なコレクションの中には「堀部刃物」の製品も残っており、その趣向を凝らした造形やよく考えられた機構から「弟」の発想力を、当時機械化がほとんど進んでいないにも関わらず手作業で精緻に仕上げられた品質から「兄」の技術力の高さを感じました。
先日二代目から聞いた話も全くのホラではないようです。
当時の判取り帳も見せて頂きました。
(昭和29年11月5日に5万円の取引が記載されています。)
歴史を感じる判取り帳に感動する共に、これを綺麗に保管されるI氏にも感服しました。
貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
残念ながら、「弟」はその独創性と引き換えに、金銭感覚も欠如していたそうです。
「堀部刃物」は昭和33年に破産しました。
この破産をキッカケに兄弟は袂を別ち、「兄」は昭和34年に志津刃物製作所を起こし現在に至ります。
後日、I氏のご厚意でコレクションの中から、堀部刃物に関するアイテムを寄贈頂きました。
関の刃物の歴史、自社の歴史の一部として、ショールームに展示させて頂きます。
左の白いものがベルトのバックル部分に収納する「バックルナイフ」です。
二代目曰く「関で最初に作ったのが堀部刃物で、皆がこぞって真似した」そうです。
真偽のほどはわかりませんが、高いプレス技術があってこそ、生まれた商品だと思います。
ここまで書いて気付いたのですが、三代目の性格は完全に「弟」寄りです。
よくこう言っているのを耳にします。
「お金は後からついてくる。」
社長、信じていいですか?
雑記帳、見て頂きありがとうございます。