≪沿革その④≫
2016年7月22日
1985年のドルショックにより輸出刃物の仕事が激減。
刃物以外の様々な仕事に手を出します。
関市の企業6社でグループ「Fキューブ」を組んで、東京のデザイナーと協力して製品開発を実施。アルマイト処理を利用した鮮やかな色合いの雑貨や文房具、食器類の製品を開発。
当時は有名女性ファッション誌や生活雑貨情報誌などにも掲載され、一時的にヒットしましたが、商品開発が行き詰まり、グループ内で廃業される方もでて、いつしか解散。
以降は、「小型スピーカー」や「ボールペン型マッサージ機」、ファミレスのレジ横で売られているような「おもちゃ」などなど、どこにそんな加工ノウハウがあったのか、わけのわからないものをOEMで受注。
(写真はあえて載せません。)
世はバブル絶頂期ですが、弊社は青息吐息。
しかし、この苦しい時期を会社はなんとか永らえ、加えて様々な製品の加工に手を伸ばしたことで、結果的にものづくりのノウハウを大きく積み上げ、協力会社の幅も拡がり、メーカとして大きく成長しました。
結果おーらいです。